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■2582年7月 ケイプヘイシャン
ある屋敷の奥にその人物はいた。老齢に達したその体は歳相応に衰えていたが、眼光は相対する者を竦ませるほど冷たく鋭い。
「そうか、あやつも少しは使えるようになったか…」
老人は手駒の近況についての報告を配下より聞きながら思案する。
「ならばあちらに行ってお役に立つことが出来るだろう。」
その老人は過去の出来事から妄執と言ってよいほど強い忠誠を主家に誓っていた。そして手にしたモノは全て主家の為にと注ぎ込んできた。そして今また手駒の一つを使うことにしたようだ。老人にとっては手駒の意思などに意味は無い…。
■2582年7月 ケイプヘイシャン沖
青い空を映すカリブ海。ケイプヘイシャン沖に共和国海軍の蒼い高速戦艦と海賊船が並んでいる。どうやら海軍が海賊船を制圧したところのようだ。
「みんな、おつかれさまね。」
澄んだ声が海賊船に乗りこんできた女性から発せられる。しかし彼女は軍人には見えない。蒼くキラキラ光る服は腰まで大胆なスリットが入っているし、その服がつつむ肢体も男なら目を惹かれずにはいられないラインだし、肌は日焼けしていない陶器のように白いし、髪からはくすぐるような甘いニオイまでする。どこかのパーティにならともかく軍艦にはいそうに無いタイプなのだ。だが例えそう見えなくても彼女アクアリィ・トゥデスは蒼い高速戦艦の艦長である。彼女は縄をかけられて座っている海賊の元へ歩み寄ると腰に両手を当て彼らの顔を丸い大きな眼鏡ごしにその赤い瞳で一通り眺めた。
「あなたが船長さんなの？」
他のメンバーより一回り体格の良い男の顔を覗きこむ。そうすると胸元が大きく開いて前から丸見えなのだが気にしないようだ。だがそんなことに気を取られた様子もなく男はわずかに顔を上げて彼女に対して鋭い視線で答える。それを見た彼女は考え込むようなしぐさをしたがスグに何かを思い付いたかのようにクスッと笑った。
「どうやらあなたはまだ負けを認めたわけじゃないみたいね？どうすれば納得してくれるのかしら？う〜ん、そうねじゃあ今からあなたの実力をあたしが見てあげましょうか？」
そう言うと両手を男の頬に添える。怪訝な顔をする男に微笑みかけて顔を近づけるといきなり唇を奪う。突然のその行為に混乱した男が目を見開く。ひととき彼女が楽しんだ後、糸を引きながら唇が離されても男は呆然としていた。そんな男の顔を楽しみながらアクアリィは少し考える様に小首をかしげると唇にひとさし指をあてる。
「ぜ・ん・ぜ・ん・ダ・メ・ね。」
その言葉に男は正気に取り戻す。そして言葉の意味を「キスがヘタ」だと思い込んで激昂した。
「なっ、なっ、なにがダメだ！なにが実力を見るだ！あんなんで俺の実力がわかると思ってるのか！！！」
あまりに頭に来たのか男はロープを引き千切ると目の前のアクアリィに飛びかかる。
「あんまり鉄腕のアムト様をなめんじゃねぇ！」
男は海賊船を束ねるだけあって異能者だったらしい。鋭いストレートが彼女の顔面に走った。隣で見ていた海賊の手下どもは誰もが次の瞬間に弾ける女の顔を思い浮かべる。しかしアクアリィは軽く顔を横へ向けてかわすと一瞬の内に男の肩に手を添えて軽やかに空中へ舞いあがる。
「なにぃ！」
男が驚愕の声をあげた時には背後に降り立つ。そして空中から２ｍはあろう４枚刃の凶悪な大鎌を手品の様に取り出すと、男へ向けて片手で軽々と振る。
「スラッシュ！」
彼女の声に答えて大鎌は自分の意思を持っているかのように男の首めがけて加速した…。
＊ ＊ ＊
海賊船の上で捕縛されている生き残りの海賊は首無しになった船長の死体を見たあと目の前で微笑む女を呆然と眺めていた。
「あれが噂に名高い蒼空の魔女かよ…」
海軍に蒼い高速戦艦を駆る魔女がいる。外見の美しさと裏腹に凶悪な大鎌を華麗に振るい海賊を狩るという。海賊酒場でそんな噂を聞いた時、彼はいい女なら遊んでやるぜ。と船長と酒を飲みながら笑い飛ばしていたのだが…。
「ほらね。ダメだったでしょう？」
船長の首を取り上げてキスをする女を見て、心底肝を冷やしながら男は噂が真実だった事を思い知ったのだった。
＊ ＊ ＊
■2582年8月 カリブ高速戦艦艦隊
満天の星空を映すカリブ海。洋上を疾走する海軍艦隊の旗艦の高速戦艦の艦長室。男と女がひとときの快楽をむさぼった後の余韻を味わっていた。
「さっきの声は凄かったな、外に聞こえていたかもな？」
「もう、そんな事言わないで。」
軽く胸を叩く女を男が肩をグッと引き寄せ、長い大人のキスを交わす二人。しばらくして唇を離すと男は机からタバコを取る。咥えたタバコに女がライターを取って火を付けた。男は一息つくと顔をじょじょに厳しくしていった。彼はなにかを思案しているようだった。
「しかし本当に行くのか？実家からの命令とは言っても従う必要はないんじゃないのか？」
男が発したその声には今までの甘い雰囲気を崩していくような若干の苛立ちが現れていた。男はタバコを深く吸い落ち着こうとする。
「せっかく高速戦艦の艦長にまでなったってのにその地位や名誉を簡単に捨てられるのか？」
だが男の苛立ちはかなり濃いらしく声は大きくなっていく。女はクスリと笑うと躰を寄せて男の顔を見上げた。その瞳を見た時、男は「俺を置いていくのか？」という一言を飲み込んだ。何故なら女の瞳に今までの感じていた自分に頼るようなすがるようなモノが一切なくなっていたのだ。替わりに「捨てられたくないの？」と自分を嘲るようなものを感じてしまったから…。その瞬間、男は今まで自分がただ女に踊らされ利用されていた事を痛感してしまったのだ。
「そうか…、分かったよ。こいつは俺の方で本部に回しておく。」
女の視線を避けて机の上の辞表を横目で見ながら男が告げる。
「賢い男は好きよ。」
あっさりと情況を見極めた男にはそれ以上なにも言う事はないと思ったのか、女は彼の背中を見ながらベットを降り手早く服を着て身を整えるとドアへと向った。そしてドアを開けぎわにクス…と密かに笑うと男を振り返って笑顔を向けた。
「今まで会った男達の中でもあなたはいい男で色々楽しかったわ。えっちもね。では失礼しますわね、て・い・と・く。」
バタン。男はその声に答えず小さくなっていく女の足音を聞きながら目を閉じて深く椅子に座り込んだ。
「エストーラか…、あいつの全てを受け入れられる男がいるかな？」
男はあっさりと捨てて行かれたのに女の未来を心配している自分に苦笑しつつ、今までの思い出をサカナに酒を注いだグラスを傾けた。
■キャスティングリスト
アクアリィ・トゥデス／女／27歳／166cm／42kg
カリブ共和国海軍の仕官。高速戦艦の艦長を務め『蒼空の魔女』と海賊に恐れられる女であったが、実家の命により海軍をやめてエンブリアのエストーラへ向かう。彼女を待つ未来は？
鉄腕のアムト／男／36歳／192cm／88kg
海賊船の船長。自慢の豪腕を引っさげてカリブで陽気に海賊家業をしていたがアクアリィに狩らる。
シー・ロータ／男／32歳／181cm／77kg
共和国海軍所属で高速戦艦を数艦有する艦隊の提督。本人はアクアリィと恋仲と思って彼女に色々と便宜をはらっていたが実は利用されていただけであったらしい。