絆　〜夢〜

AFFIXTUER

■聖暦８０１年１１月、帝都・黒百合屋敷
　
　空に浮かぶ三日月の明かりが雲間に見え隠れする帝都の夜。
　「それじゃあ、行ってきます。後はお願いね、ルゥ、ルゼ。」　
　黒百合屋敷の玄関で馬車に乗り込む前、私は見送りにきた妹達の顔を見ます。
　だけど二人は心配そうな顔を私に返してきました。
　「ナル姉様…本当に大丈夫なの…？」
　「やっぱり無理しちゃ駄目だよ、ナル姉さん」
　二人に心配をかけてしまうほど私は疲れが顔に出ているようです。
　だけど…。
　「二人とも新参者の私が皇帝陛下もおいでになるパーティに行かないわけにはいかないのは分かっているでしょう？」
　二人の気持ちはとてもうれしいけれど、私は微笑んで二人に諭すように言いました。
　特に今回は私が侯爵を継いでから初めての大きな公式のパーティですから諸侯達に対して挨拶を回りをしなければいけません。
　それに皇帝陛下のおいでになる会に来なかったなど風評が立てば敵にどれだけの口実を与えるのか想像するだけで嫌になります。
　結局、今の私に他の選択肢はないのでした。
　「二人とも留守番をしっかりお願いね？」
　私は使用人の手を借りながら馬車に乗り込むともう一度「いってきます」と二人に手を振りました。
　二人の心配そうな顔がいつまでも見つめる中を馬車は屋敷を出て黒光宮殿へと走りだしました…。

　私は馬車の座席に敷かれたクッションに身を沈めてゆっくりとため息をつきました。
　馬車の内は私一人にはひどく広く感じます。
　「お父様・・・お兄様・・・」
　ほんの数ヶ月前はたいていお父様、お兄様が一緒でした。
　ですがお兄様は「皇女の血杯」事件で粛清され、お父様もまた・・・。
　お父様の最後の死にざまを思い出そうとするだけでギュッと強く掴まれたように胸の奥が痛みます。
　その痛みは二人に続いてもう会えなくなった人との別れと、ある人との出会いを思い起こしました。
　「……シュラ…」
　胸の痛みはズキズキと激しさ増していきます…。
　思い描いたアシュラスの笑顔…私のミスで亡くしてしまった弟の笑顔が私を責めるように表情を変えます…。
　その顔から目をそらせば…私に私の罪の存在を強く強く思い知らせる人の顔が目に浮かびました。
　激しく私を苛む胸の痛み…罪の意識のほかにも…その人は私にとって…恐怖…を与えるのです。
　夫でもない人と肌を重ねる不義やなんの気遣いもなく私へと繰り返し注ぎこまれる恐怖…、
　そして何より私が私で無くなってしまうようなあの激し過ぎる感覚への恐怖…。
　同じような人は前にもいました…。その人もまた私を恐怖の海に沈めました。
　ですがその人は私に対して自分を見失ってしまいそうなものを与える事はありませんでした。
　大きな罪の意識、そして同時にやってくる複数の恐怖、私は心が壊れてしまえばどれだけ楽になるか…。
　そう思いながらも逃げる事は許されないと心に決めていた私は日々ただ耐える事しか出来ないのでした。
　今は考えてもつらいだけだからずっと働く事で気を紛らわしています。
　…ですがいつまで耐える事ができるのか………私にはもう分からなくなっていました。
　窓から見える帝都の風景が私の心を移すかのように月明かりの雲に遮られて暗闇に包まれていきます……。
　しばらくして私の思いと関係なく黒光宮殿が窓から見えてくると、私はいつの頃からか身についた偽りの笑顔をつくりました。
　手鏡で見れば…まあ笑っているように見えそうです。
　それから今日挨拶をしなければいけない貴族とその時すべき話の内容…。
　パーティでのスケジュールを思い出しながら予定をもう反復して気持ちを切り替えていきました。

　馬車を降り会場内に入るとさすがに皇帝陛下もおいでになるパーティだけあって煌びやかで盛大な様子です。
　元々懇意にしていた方を見つけて会場の様子を簡単に教えてもらうと私は早速挨拶回りを始めます。
　開始までまだ時間があるせいかいくつかのグループでまとまり談笑に花を咲かせる方々に挨拶をして回り、
　予定のスケジュールをこなしていきました。
　一通り用事が済んだ頃には私のまわりにはテンオレン家につらなる貴族が集まっていました。
　私はパーティが始まるまで彼らと話しながらそれぞれの考えを聞いているうちに皇帝陛下がおいでになりお言葉を頂く事になります。
　私はさりげなくまわりにいる諸侯達の皇帝陛下に対する態度を調べてながら皇帝陛下のお言葉を心に刻んでおきました…。

　病をわずらわれている皇帝陛下がお言葉の終わりと共に退出すると、会場から一気に緊張が抜けて、
　にぎやかに談笑したり立食を楽しむ普通のパーティの様子になりました。
　とりあえずテンオレン侯爵としての政治的な仕事は一通り終わっていたので、
　ちょうど始まった社交ダンスの曲に皆が興味を引かれているうちに壁際に下がろうと息を抜いた時でした。
　振り返った私の前にいつのまにか青年貴族が立っていたのです。
　「テンオレン侯爵、どうされたのですか？もしお時間が頂けるなら私と踊っては頂けませんか？」
　その人はすっと私の前に手を差し伸べてきました。
　たしか…帝国騎士で子爵の…。記憶を辿り相手の名を思い出して挨拶を返しながら私は困りました。
　前までは踊る事はキライではなかったのですが今の私は男性に触れられて踊る事が正直怖かったからです。、
　理由は…言うまでもなく今まで私に触れた二人の人に対する恐怖のせいでした…。
　そんな事を知る由もない騎士は私が返答しないのを悩んでいると思ったのかしつこく食い下がります。
　「えっと…その…」
　ちょうど気を抜いたところへの出会い頭の出来事に私は混乱してうまく言葉が見つかりません。
　そうこうしている内に何故だか次々と青年貴族達が集まりだしました。
　「ナルリィーナ。踊るならこの私と…」
　「おいオレが先だぞ。侯爵、私と踊っていただけますね？」
　「押すな、どうぜお前のような田舎貴族に踊りなど踊れるものか。」
　「バカは相手になさらずに僕と踊りましょう」
　なんだか私の周りは十重二十重に青年貴族達に囲まれてしまいました…。
　そういえば、私が当主についてから初めての大きな公式のパーティです。
　私を娶ればテンオレン家がついてくるのですから…こういう事も考えておくべきでした…。
　そういえば挨拶回りの時にもしきりと息子を紹介してくれる方が多かったと気づきました。
　…とりあえず今の状況をどうにかしないと…でも一体どうすれば良いのか思かないのです。
　「ぜひ私と踊って下さい」
　「いえ、私と」
　また、前にいた人を押しのけて新しい人が競うように私へ声を掛けてきます。
　………息苦しい……
　気が付くと人の輪がゆっくりとゆっくりと私へと迫ってきているようでした…。
　……苦しい…
　「あの…私は…」
　早く抜け出そうと思っても今度は気分が悪くて喋る事が出来なくなってきました。
　その時、また輪の外から誰かが割り込んできたのかちょっと荒げた声を上げる人がいました。
　…また……もう…
　私の顔は笑顔を浮かべ続けていましたが、ひたすら沈み込んでいく気持ちにやるせない脱力感が襲ってきます。
　でも人垣を破って飛び込んできたのは黒き服を纏った凛々しい少女でした。
　シルヴィア…。
　妹の親友で当主になる為の特に色々と助けてくれた幼馴染の顔に私は安堵していました。
　「テンオレン侯爵、ご機嫌麗しゅう」
　「シルヴィア様も御機嫌よう」
　シルヴィアに挨拶を返しながら先ほどまでの息苦しさが無くなっている事に気づきます。
　感謝の気持ちでいっぱいになっている時、シルヴィアは何か考えている様子でした。
　「ローザリオン子爵令嬢、悪いですが彼女は私と…」
　シルヴィアの思考を遮るように周りにいる一人が声を荒げましたが彼女は相手をせずに私に向き直りました。
　「私と踊っていただけますか？」
　えっ…一瞬何を言われたのか理解できませんでした。
　ですがそれがシルヴィアが私をここから連れ出してくれる為に言った事だと思い当たります。
　「ええ」
　私は頷きシルヴィアの手に導かれて人の輪を抜け出した時…昔妹達に読んであげた童話…
　私はイバラの中で眠る姫君を助け出す王子様の物語を思い出したりして思わず笑っていました。
　ダンスの輪に入るとシルヴィアが男役になり私の腰に手を回し曲に合わせて踊り始めました。
　年下と言っても鍛えているせいか背は高い方で私と同じくらいでちょうどつりあいます。
　私達の呼吸が合う頃、周りからため息が聞こえてきます。
　年上の女の私が見てもシルヴィアは綺麗でその強い意志が見える様に凛々しい。
　貴族の子女がよくシルヴィアにまとわりつく気分がよく分かります。
　シルヴィアが男装で男役で踊っている姿は周りからはさぞ素敵に見えているのでしょうね。
　私は少しシルヴィアのファンから嫉妬の視線を受けているみたいでした。
　そう言えばシルヴィアに見とれていて大切な事を忘れている事を思い出しました。
　「助けてくれてありがとうございます」
　私が呟くように言うと「いえ…」とシルヴィアは大した事が無い様に言ってくれます。
　しばらくは久しぶりの様な気がするダンスを楽しんでいました。
　ただ…シルヴィアはやはり相手が私で男役ではつまらないのでしょう。
　すこし難しそうな顔をしています…。
　それでも私が不安そうな顔をしてしまったのに気づいたのか優しく微笑むと出口を見ました。
　どうやらダンスから抜け出そうとの事みたいです。
　私は残念に思いながら、それを悟られない様に頷きました。

　会場をうまく抜け出る事が出来た私達は庭園にまで来ました。
　シルヴィアはまだ私のそばにいてくれますが、幸せな時間は終りつらい現実の世界へと私の心は戻ってきました。
　そうすると踊っている時には気づかなかった心の疲労が私から力を奪いさっていました。
　何時の間に晴れたのか星明かりの下に流れる夜風もまた私から温もりを奪っていきます。　
　次第に立っている事もつらくなってきて、それを気づかれるのが嫌で私はベンチに腰掛けました。
　「疲れましたか？」
　シルヴィアが横へ座りながら私の顔を心配そうでのぞき込んでくる。
　「いえ、大丈夫です」
　これ以上シルヴィアに迷惑をかけたりは出来ません。
　今度は偽りの笑顔をシルヴィアに向けました。
　…でも私は笑えているのでしょうか･･･？
　思考を遮るかのようにふっと流れた風の冷たさに私は肩を震わせてしましました。
　シルヴィアは何も言わずに肩に外套とかけてくれます。
　「…ありがとうございます」
　シルヴィアが寒いのでは…、
　そう思いながらも私はまるでシルヴィアに優しく抱きしめられているような外套の温もりを手放す事が出来ませんでした。
　温もりを逃がしたくない一心で外套にくるまりました…。
　それからしばらくはシルヴィアは何も言いませんでした。だから私も何も言いませんでした。
　今、口を開けば…シルヴィアに迷惑をかけてしまう…そう思って何も言えませんでした…。
　そんな時間も終わりを告げてシルヴィアが立ち上がります。
　「家の方を呼んできましょう。今日はもう帰った方がいい」
　あっ…シルヴィアが…行ってしまう…。
　そう思った時、私は思わずシルヴィアの裾を握り締めていました。
　シルヴィアがゆっくりと顔をこちらに向けようとした時に私の心は酷く葛藤していました。
　（迷惑…）（頼ってしまえ！）（…そんな事が許されるとでも？）
　私はどうしたらいいのか分からずにシルヴィアの視線を受けます。
　「もう少し一緒にいていただけませんか…？」
　結局、私の口からはもう少しだけ…シルヴィアにいて欲しいという本音でした。
　シルヴィアは何も言わずに私に向き直ると、不意に懐から小さな化粧箱を取出して私に手渡しました。
　「これは？」
　「開けてみて」
　最後の包み紙から出てきたのは小さくて華奢な金のペンダントでした…いえ良く見るとロケットの様です。
　スズランの花が奇麗な浮き彫りになっていて月明かりに輝いています。
　作り手が大切に作り上げた気持ちが伝わってくるようなロケット…。
　「…？」
　私の不思議そうな視線に気がついたのかシルヴィアは微笑むと再び横に座ってくれました。
　「スズランの花言葉って幸福なんだそうだ。昔、妹から聞いたんだが」
　そう言えば彼女は私達に会う前にある事件で大切な人を失っているのでした…。
　私に会う頃には笑顔を取り戻していましたが、心の中でどれほどの思いがあったのでしょうか？
　シルヴィアは本当に強い…そんな事を思っていると彼女は夜空を見上げつつ言葉を続けました。
　「作った人はこれを持つ人が幸せになるよう祈っていたそうだ。私もこれを持っている人には幸せになって欲しい。…まあ、そういうことだ」
　幸せに…幸せになって…？　そういえば私は自分が幸せになれると思わなくなったのはいつの頃だったのでしょうか？
　「幸せに…」そんな思いが篭っているロケット…なんだか私には手に持つ資格すらない様に思えてきました…。
　幸せという言葉を考える事自体が恐くなってシルヴィアに返そうと思って彼女を見ました。
　なぜだかシルヴィアはすこし顔を赤くすると私の目から視線を逸らせます。
　「というわけでそれはナルリィーナ殿に差し上げる」
　「…え？」
　シルヴィアの口から出た言葉の意味は…。「私も幸せになって欲しい…差し上げる…」その意味は…。
　（私も…幸せになって…良いの？）
　私は…驚き、そして…もうどうしようも無いくらい一気に想いが溢れだし始めました。
　「では今度こそ送っていく。そろそろパーティーの時間も終わりだ」
　会場の方を見たシルヴィアが立ち上がりゆっくりと歩き出します。
　私は涙が溢れ出しそうになった目元をぬぐうと残った力を使ってシルヴィアの背中にしがみつきました。
　暖かい温もりを感じました…それは失う事を考える事が出来ないほど私を幸せな気分にします
　シルヴィアが声をかけてきましたが私は母親にしがみつく幼子のようにシルヴィアの背中を感じていました…。
　…。
　しばらくして落ち着いた私が離れるとシルヴィアは私の手からペンダントを取ると首にかけてくれます。
　私は嬉しすぎたので今この瞬間が幸せな夢だと思う様にさえなっていました。
　目が覚めれば、今までと同じ苦しみが繰り返される日々が帰ってくるのだと…。
　私はせめて今だけはと精一杯微笑んでみせます。シルヴィア…私はちゃんと笑えてるでしょう…？
　でもシルヴィアはなぜだか不思議な顔で私を見ています。その顔はなんとなく悲しそうに見えました。
　「シルヴィア…？」
　ふわりとあの温もりが帰ってきました…。
　気がつけば私はシルヴィアの腕の中にいました…。
　温かい…これは本当に夢なのでしょうか？夢ならもう覚めないで…。少しだけ…もう少しだけでいいから…。

　私は夢が逃げていかないように目の前のシルヴィアの体に手を回していきました。
　私が触れた瞬間に消えてしまうかもと恐れながら抱きしめたシルヴィアの体は消える事はありませんでした。
　柔らかな温もりに包まれながら私はこの温もりがどうか本当であるようにと祈りました。
　ボーとしていく意識の中で胸の上で揺れるペンダントだけがまるで現実であるかのようでした…。

＜おわり＞

■キャスティング・リスト

シルヴィア・ローザリオン／ＰＣ／ローザリオン家養女（１３歳）
　元イーリス子爵家長女。現在は叔父のルーファスの養女となっている。
　叔父に代わりローザリオン家当主代理として活動している少女剣士。

ナルリィーナ・テンオレン／ＰＣ／テンオレン家当主（１５歳）
　お家騒動を乗り切り侯爵家の当主になった少女。
　優しい性格の持ち主として知られているが、最近どことなく影をかんじさせる。
　
ルゥナリア・テンオレン／ＰＣ／テンオレン家令嬢（１３歳）
　ナルリィーナの妹でガルゼリッタの双子の姉である大人しい少女。
　黒百合劇場支配人として姉を支えようとしている。
　
ガルゼリッタ・テンオレン／ＰＣ／テンオレン家令嬢（１３歳）
　ナルリィーナの妹でルゥナリアの双子の妹である活発な少女。
　黒百合騎士団将軍として姉を支えようとしている。