AFFIXTUER
■聖暦８０６年、ギルガルド帝国領内侵攻中のザンウェル帝国軍
珍しく雪の降らず静かな夜だった。天幕の外を巡回する警備の兵達の歩く音が良く響く。
なれない軍隊への同行や自分だけでなく家族や領民の処遇など気にかかる事も多い。
ジュリアーヌ帝の高級侍女として同行しているナルリィーナは静かにため息をついた。
「あの。申し訳ないのですが外の空気を吸わせてもらえないでしょうか？」
ナルリィーナは自分の護衛（監視とも言える）の騎士に丁寧に願い出た。
騎士は監視を命じられていたが美しい部類に入るだろう女性のお願いに気を悪くするはずもない。
それに不自由させぬようとも命令を受けているから１０分の時間制限と自分も同行するならと、快く許諾する。
もっとも黒槍騎士たる彼の実力ならナルリィーナが何をたくらもうとも止める自信があったからこそだが…。
外は雪や風が無く穏やかとはいえまだ寒く冷え込んでいる。
ナルリィーナはこれだけはと選んで持ち出してきた白い外套を身に纏うと騎士のエスコートで天幕の外へと向かった。
天幕から出ると天幕の周りは多くのかがり火が焚かれ、今が夜のという事を忘れてしまいそうだ。
なんでも影に潜む暗殺者が狙っているので影をなくそうとしているらしい。
ナルリィーナは人の出入りの激しい入り口からすこしだけ外れた所へ歩いていく。
よく見ればかがり火が集中しているのはこの天幕だけで、その周りはやはり闇に包まれ所々にかがり火の光が見える。
そしてその闇にポツポツと光る灯りの上には満天の星空が瞬いていた。
「…怖いくらいの星空ですね……」
騎士に対してと言う風ではなくナルリィーナは呟く。
（前に星空を見たのは何時の事だったかしら？）
思い出そうとしてもはっきりと覚えていない。
ただ、前に見た星空よりも今の星たちは強く輝いているように見える。
その光は力強くまるで夜を全て照らし出そうとしているかのようだ。
「星々の英雄が立つ時……加護の星も輝く………」
ふと思い出したのはアルカディアの大地に根付く伝説の一つだ。
『この世界が闇に落ちようとする時、星の加護を受けし星々の英雄が現れて闇を払う』
誰が言い出したのか分からないが長く伝わる話らしい。
たしか精霊神殿でも星々を聖霊の灯火としてその加護を得た者が聖騎士になる等の話があったはず。
そんな想いを抱かせるほどに星の煌きは力強く美しかった。
（でもそんな便利な存在なんてありはしないわ…）
困ったときに誰かが助けてくれるなんて、幻想でしかない。
ナルリィーナは今までの自分の歩いた道を思い出すとそう考える。
「あっ！」
今まで静かに立っているだけだった騎士の不意の声。
ナルリィーナが振り返ると夜空を見上げた騎士の視線の先には…。
「…流れ星？」
珍しく二つの星が流れ交差して落ちていく。
流れ星にも同じように伝説があった。
『加護を与えし英雄が倒れるとき星もまた流れて落ちる』とか
『星々の英雄はその身を引き換えに願いを叶えられる。同じく星もまた落ちる時一つだけ願いを叶えられる。流れ星に祈られた願いを…』
幼い頃には皆でよく星空を見上げて流れ星を探したものだった。
自然とナルリィーナは目を閉じて願いをかける。
（いつか罪の償いが終わって笑って暮らせる時が来ますように…）
真摯に願うナルリィーナの頬をそっとやわらかい風が撫でた。
目を閉じて祈っていたナルリィーナはハッと目を開いて周りを見渡す。
何故ならそれがまるで優しい温もりを感じさせる大切な人の手のように思えたからだ。
『…大丈夫…』
そんな声さえ聞こえた気さえしていたのだが…。
「……………？」
声にならないほど小さな呟きを漏らした後、ナルリィーナはそっとため息をついた。
そう、あの人は傍にいるはずはないのだった。
（この戦の後で無事でいられたらあの人を探そう…）
ナルリィーナにとっては恩人である相手は今は自分の道を突き進んでいるはずであった。
その道は激しく困難で今まで入ってくる情報ではいつあの人が倒れてもおかしくないものばかりだった。
（出来れば今度は私が手助けしてあげたい…）
そんな事を考えているとあの人が支えであった頃の思い出が溢れてつい物思いに耽る。
「テンオレン殿、大丈夫ですか？」
長く黙り込んでしまったせいか騎士が不安げな声をかけてきた。
「すみません。つい物思いに耽ってしまいましたわ」
ナルリィーナは相手に笑顔を向けたが騎士の表情は変らなかった。
屈強の戦士に違いない彼でも言い出しにくいらしくしばらく口篭もる。
「でも涙が………」
先ほど振り返ったナルリィーナが笑顔で涙を流している姿が騎士にはとても悲しげに見えた。
だから自分が声をかけて良かったのか？涙に気づいてないナルリィーナに真実を伝えるべきか？
悩んだ上で言ったのだが騎士にはそれが正しかったのか判断できずにいた。
（涙…？）
言われて頬に手をやれば確かに濡れていて頬を伝わる涙に気づき驚く。
慌ててハンカチを取り出しナルリィーナは目元を覆った。
「目にゴミでも入ったのかしら。お見苦しい所をお見せしてしまいましたね」
理由が分からないがとりあえず取り繕ろうと涙を拭こうとする。
だが…涙は留まる事をしらすどんどんと流れ出る量を増していく。
「あら？」
拭いても拭いても頬が乾く事はなかった。
「…一体どうしたのでしょう？…涙…が……」
やがてポタポタと地面を濡らしていく涙に引きつられるように胸の奥がある感情に満たされていく。
ナルリィーナは理由も分からずただ胸の奥からの衝動に泣き崩れていくのだった…。
＜終わり＞