アスターの一角にある都市、アシハラ。ここは、今はヴァイン奪回の為の重要な地点となっている。
初めは異能者たちに頼り、ある時には畏怖の目で見ていた一般市民達もようやく彼らと一緒になって戦おうとし始めている………。
そんな彼らに平和な日々が訪れるのは何時の事であろうか………。
アシハラの中央に近い場所にある宿屋「雪の結晶(スノードロップ)｣は今日も忙しそうだった。病院として開放すると同じにベットはケガ人でいっぱいになり、下のホールは軽いケガ人の治療、そして、治療中の者達や看護をする者達の交流の場となったのである。
「マキー」
下で男性が、周りを見ながら大声で呼んでいる。すると、階段の上に長身のエルフの女性の姿が現れた。彼女がここのオーナーの舞姫・シルフィードである。
その両手には、シーツを始めとしたいっぱいの洗濯物を抱えている。多分、ここで診ている患者達から出たものであろう。彼女だけでなく、数人の看護助手達も同じように多くの洗濯物を抱えて走り回っていた。
「ちょっと待って、すぐ行く。そこの部屋にいて」
彼女は彼にそう言うと、器用に人の集まりをよけながら裏口へと走って行った。
「用件はその子ね」
そして、数分後………舞姫は、ベットの前にいた。男性も彼女の隣に立っている。
彼女の言葉に、彼はゆっくりうなずいて、先ほどまで腕の中にいた少女を見ている。
横になって目を閉じている少女を素早く診る。武闘大会で何度か見たことのある顔……確か、リュティアと言っただろうか………。切ったような傷があちこちに見え、そこから、血のにじんだ褐色の肌が見える。少女の顔は、出血の為か少し青ざめていたが、彼女の表情からはまったく辛さと言うものは感じられない。もともとダークエルフと呼ばれる者達に与えられたある種の能力の中には感情をなくすといったものがあるので、多分、それによる物もあるのではないかと思われる。
しかし、それとは別の何か、何かを拒否しているような、おびえているような……そんな空気が彼女を取巻いていた。
「ありがと。少し、ここで様子を見る事にするわ」
舞姫は、男性に告げると、彼女を寝かせたままにして、新しいシーツなどを取りに別の部屋へ向かった。
………こうして彼女はここの患者になった。
彼女…リュティア・ダルフェン……の傷は、そんなにひどいものではなく、すぐに宿屋内を動き回れる程度には良くなった。しかし、人と会ってもさほど話をすることもなく、少し離れたところから、じっと彼らや周りの様子を眺めていることがほとんどであった。
「おはよ」
ノックをしてそっと扉を開ける。
舞姫が声をかけたときも、リュティアはベランダの手すりにもたれかかり、じっと外を眺めていた。ベランダの下の方では、今日も宿屋、酒場に来た客や患者達があれこれと話をしたり、店にいたメイド達がコマネズミのようにくるくると忙しそうに動き回っている。
舞姫は、彼女の邪魔をしない様に、そっと机の所から小さな椅子をひくと静かに腰を下ろし、何も言わずに彼女の様子をじっと見ていた。
そして数分後………リュティアは、観察が終わったのか、何も言わずに手すりから体を起こし、ゆっくりとこちらを振り向いた。そこで初めて、舞姫の姿が目に入っただろうが、彼女は表情一つ変えずに、ゆっくりとベットの方に歩いてきてにそこに腰を下ろす。そして、そこで初めて顔を上げて、舞姫の顔を見た。
「気分は？」
リュティアは何も言わずにうなずいた。それを見て同じようにうなずくと、舞姫は彼女の隣に腰を下ろし、体の調子を確認しはじめる。しかし、すぐにその手が一度止まった。彼女の褐色の肌には、今まで負ったであろう多くの傷が残っている。それは、白く跡を残すものもあるが、中には、一生残らないであろうものもいくつかあった。
（………）
舞姫は、目を細め、彼女に聞こえないように小さくため息をこぼした。そして、再び、彼女の様子を確認する。
「大丈夫みたいね」
舞姫は、確認を終え彼女が服を着た後、ポケットからプラムを取り出し、彼女に投げる。
そして、椅子の所に戻り、話をしようと彼女の目を見た。緑色の瞳はとても深く、じっと見つめていると自分が吸い込まれそうな気すらしてくる。そして、その視線は何かを見ているようで、また、何も見ていないようでもあった。
「………」
何を話そうかと考えながら、瞳をじっと見ていた舞姫は、うまい言葉が見つからず、再びため息をつく。リュティアは突然、舞姫に向かって不思議そうに小さく首を傾げ、何かを考えはじめた。そして、しばらく考えた後に、こちらの方を向いて静かに尋ねた。
「どうしてなの？」
「え………何？」
突然の言葉に、きょとんとし、パシパシと数回目をしばたかせた。そして、言葉の説明を求め、リュティアの顔をじっと見た。
「ため息………」
「あ………ごめん」
ぽつりとリュティアが吐き出す。それを聞いて、舞姫は小さく微笑みかけた。
「女の子に傷を残すなんて………ってね」
「どうしてなの？」
「どうして………あたしがそう思ってるだけ」
リュティアにそういうと、舞姫は近くの椅子を引き寄せ、それに腰を下ろすと、今度は逆に尋ねた。
「戦うって、楽しい？」
「好き………」
「どうして？」
「みんなの勝った時の歓声が気持ちいいの」
「そっか………」
リュティアの言葉をきいて、舞姫は、何かを考えているようであった。じっとあごに手を当て、うつむいている。
「怖くはないの？」
「どうして？」
窓の外を眺めながら語るリュティアの様子は、全くごまかすなどと言う物は見うけられなかった。もし、あるとしたら、感情を表す事の苦手な彼女だ、すぐにわかるだろう。つまり、傷を負うと言う事に関しては、彼女は特に恐怖などを感じる事はないようである。そうすると………あの時の彼女の持っていた拒否やおびえは、それとは別のところから生じた物であろう………。
「別に怖くはない」
「あたし、怖いって思う事、時々あるから」
舞姫は、常にアシハラにおいて開かれる武闘大会では、自らが参加する事はせず、救護や受付など、開催側のサポートに回っていた。その中で、時々傷という物が恐怖に感じられる事があるのだ。
「一度出てみたらわかると思うの」
「そうね。そう思ったけど………」
ぽつりと言ったリュティアの言葉に、舞姫は静かにゆっくりうなずき、小さく微笑んだ。
今度、アシハラでコロッセウムから行われる物とは別に、征旗団としては初めてトライアンフが主催になってタッグトーナメント方式での武闘大会が行われる。それに、トライアンフのメンバーからも参加の誘いが来ていたのだ。
しかし、舞姫はなかなか首を縦に振ろうとはしていなかった。
「出たほうが参加している人達の事も分かると思う」
「でも、あたしはあなたみたいに強くない」
「タッグは？」
「一緒に出てくれる人はいないわ。仲間は皆相手が決まっている」
舞姫はリュティアの言葉にも寂しく微笑み黙りこむ。リュティアはそんな舞姫を視線だけで見ていた。
２人の間に沈黙が流れる………。
「あなたが一緒に出てくれるんだったら、考えてもいいわ」
「別にいいよ」
リュティアの方をじっと見て、少し苦笑しながら舞姫が言うと、すぐにリュティアから答えが帰ってきた。舞姫は、驚きの表情でリュティアを見た。しかし、彼女の顔は全く変化していない。少し待ってみても、特に「嘘」と言う言葉は聞かれず、彼女は舞姫の方を見ていた。
「ほんとに？」
恐る恐る舞姫が言うと、リュティアは珍しく彼女から視線を外さずにうなずいた。どうやら、本気の様である。舞姫が珍しく彼女の顔から視線をそらした。
再び沈黙が流れる。
しばらくして、舞姫は大きくため息をついた。そして、彼女の顔を見て、ニッコリと微笑んだ。
「わかった。あなたが一緒に出てくれるって言うんだったら、別に出てもいいわ。でも………優勝は望めないわよ」
それだけ言うと、舞姫は、手をリュティアに出しかけ、しばらく考えこんだ。そして、少し困った顔で彼女に尋ねる。
「ごめん。利き手、どっち？」
彼女は、すぐに逆手を差し出し、舞姫は彼女に自分の手を預けた。
「じゃあ、よろしく」
こうして、舞姫は救護班と同時に、大会にも参加する事となった………。
おしまい