「エタムン」プラリア 作者：白拍子さん 掲載日：２００１．７．１２
追憶／アリスの場合
「………」
ぐったりと、ギルバートがベッドに身を横たえる。
セインの鎖にアリスが食い殺され、そしてギルバートの血で蘇ったその夜。
激しくアリスはギルバートを抱いた。まるで自らの生を確かめるように。
「ねえ……」「………？」
「死ぬの…初めてじゃなかったみたいね……」
「そうだな…」
私以外にも贄がいた…女だ、ということは直感できる。
「………」
「………」
頭痛がする、いや全身のあちこちが痛む。
安酒の酔いと、喧嘩で受けた傷。まだ未熟な力では、素手での多数との戦いに後れをとる。
薄暗い路地にへたりこむ。蒼白い肌、紅い瞳、鋭く伸びた犬歯、ヴァンパイアハーフの忌んだ特徴をもった少年。
少年は家が嫌いだった、自分を産んだ母が嫌いだった、血を分けた妹が嫌いだった、そして自分が嫌いだった。
「家」から逃げだして幾日たったのか……無目的な争いの繰り返し、荒廃した生活をおくっていた。
アリス・テューダー
テューダー家の長男、女性の名をつけられた彼は、家から逃げ出した。
紅い月が路地に刺し込む……血のように紅い月……
紅い満月の鈍い光にさらされて、性欲にも等しい吸血の欲望がもたげる。
慟哭。
自らの忌んだ体と、血を呪う声。
吐き出す声が途切れ、意識は暗い淵に堕ちていった………
覚醒。
見知らぬ天井。
路地でなく家屋の中。
戦士として鍛えさせられた感覚が、警戒を促す。
「おきたのね」
微かな笑いを含んだ、女の声。
その声の主を、アリスの紅い瞳と耳が探す。
声の主は、すぐ傍にいた。夜着のようなもので、肉感的といっていい姿態を、覆った女がいた。
「そんな恐い顔しないでよ、私がひろってあげたのだから」
声の中にからかいのような、微妙なアクセントが耳に触る。そして、含むような笑い声が微かに上がるのが、アリスをもっと不愉快にしてゆく。
「ここは…」
「私の部屋よ、それにしてもやっと口を聞いたわね。顔に似合わず渋い声をしてるわ、それが似合うにはもう十年は修行が必要ね」
質問を遮られ、さらに自分の声を勝手に批評する明るい声に、ますます不快さは増大してゆく。
「朝食、食べるでしょ？」
アリスはその言葉にうなずく。空腹は満たさなければならない、たとえ、どのような時でも。
身に染み付かされた、戦うモノとして生き延びるための教えが、今の不快な状況ででも、それを優先させた。
食事を取りながら状況を整理する。
どうやら自分が前後不覚に陥っている間に、この女に拾われたこと。
彼女の名はマチルダで、街娼だということ。
「私を拾った理由は？」
「特にないわ。あえていうなら、いい男だったからよ」
悪びれずに、軽く答える。
「もっとも、まだ『いい男』の原石のようね」
そう言って笑う。それが癇に触る。
「しばらくここにいるといいわ、それがあなたのためよ」
拒絶しようとする言葉を、笑顔で封じ込めるられ、困窮する。
彼もまだ、年上の女性をあしらえるほど、人生を経験していない。
困惑を顔に出てるのを見て、マチルダの唇が笑いの形になった。
「また男をつれこんでるの？毎回毎回……」
アリスと同じ、白い肌と紅い瞳、そして伸びた犬歯が特徴的な女性が入ってきた。
同じヴァンパイアハーフだ。
不妊の特徴を持つこの種族が、この稼業を生業ににするのは、珍しいことではない。
アリスが同じ、ヴァンパイアハーフということに気付いて、入ってきた女が不愉快さを表情に出して表す。
それはアリスも同じ表情を返す。険悪としか表現出来ない雰囲気が包む。
「名前は？」
その空気を無視するように、マチルダが問いかけた。
「……………」
アリスが一瞬にして困窮した表情に変わる。
その変わり様を、ヴァンパイアハーフの娼婦がアリスを見ると、追い詰められたような感じが見て取れた。
二人の女性の視線が、無言の問い詰めをアリスに投げかける……
その圧力にアリスは抗うより、屈することを選択した、それは女性ばかりの家族の中で生きていた経験の上での、戦術的撤退であった。
「アリス……」
静かだが、観念したような声が響く。
一瞬後の爆裂した笑い。彼にとって「家」を嫌いになれる理由は、多いにあった。
街娼の用心棒……
とりあえずの居場所、食うための代価としての労働。
いまの自分に出来るのが、暴力を伴うことだけなのが、アリスは理解している。
いや別のカタチもあるのかもしれないが、それを選択する。
「客でも取る？」
冗談とも本気ともつかない、マチルダの問いかけに対して、他に出来ることを示したのは確かだった。
「惜しいわね〜男でも女でも客がつくし、人気出るわよ」
やはりどこまで冗談なのか、アリスにはそこまで深く読むことができない。
無口で気難しい無愛想な彼に、マチルダはしつこいくらいに色々と根掘り葉掘り聞いてくる。
最初は不機嫌な無視を決めていたが。時がたてば少しずつ、締め付けの悪い蛇口から垂れる水滴のように、自らのことを語り出した
。
男として生まれながら子孫を残せない憤り……
「『家』は、男子の誕生を望んでいた…だがそれには恵まれず、女子ばかり…そして待望の男が生まれた、が、生殖能力の無いヴァンパイアハーフ……
落胆は非常に大きかった。」
「家」の中での自らの居場所の無さ……
「そう、そのため疎まれた『いらなかった子』と……」
人としての生を受けている妹……
「妹が産まれた、人として次の世継ぎを作ることのできる、継ぐモノ……
そう、守るモノであり、そして憎悪の対象……」
戦死した父……
「父は高潔な騎士だった、しかし高潔すぎて濡れ衣の罪を受けた、そしてその不名誉の中、母と出会いその忠誠の全てを注いだ。そしてそれを守るため戦って死んだ……」
自らがなにをなすのか？
「自らにあるのは、父に教わった戦いの技術、だから戦うことで、時分の意味を持ちたかった」
そして気付いたときには、かなり大量にいいまで口に出さなかった胸中を、マチルダに晒していた。
ただ彼女は聞くだけで、それに対しての明確な感想や意見は述べなかった。
いやそれをされていれば、さほどの間もなく、アリスはこの場を辞していたであろう。
そして何度目かになった、妹の事……
「妹は…ギネヴィアは私には優しい、それがたまらなく苦痛だった。憎む対象に優しくされるなんて……そして父が亡くなった後…それが爆発しそうになった。自分のエゴと憎悪をむきだしにして、血を啜ろうとした……
そう……彼女を犯そうとした……」
牙を白い首に突き立てても、ギネヴィアは抵抗しなかった…
そして一線を越える寸前、アリスは家を飛び出た…
マチルダはそれを最後まで聞き、そして肩紐をずらしてアリスの頭を抱いた。
その首筋が牙に触れる間近にある……
戸惑い
「今は…甘えてもいいのよ」
アリスは欲望に負けた。
妹、ギネヴィアが市街地に出ている。
容姿やその行動から流れてきた噂。アリスを捜しているらしい。
王家に敵対する、テロ集団の中枢として、テューダー家に対しての警戒は厳しい。
アリスがいまあるように、スラム同然のこの地域に潜伏してるも同然であるし、そしてその対処も、アリスは身につけており、実践を現在なしていた。
しかし四年、年の離れたギネヴィアは、まだ経験も浅く実戦の経験もほとんど無い。
聞くと供回りも連れず、一人でいるらしい。
危険だ、と判断しつつも、自らが家を出たきっかけともなった、妹に対しての複雑な感情が
アリスの行動を鈍らせていた。
そしてそれは起こった、ギネヴィアの逮捕である。
「行くのね」
マチルダの確認の言葉に、アリスは珍しく困った表情を浮かべながら頷く。
「行きなさい、自分に素直になるのは、良いことよ」
いつもの、くったくのない笑顔……そして、ここに来てから伸びたアリスの銀色の髪を一筋切り取る。
その奇妙な行動に、アリスがいぶしがると、マチルダは答えた。
「あなたは賢いかもしれないけど、思っているほど冷静じゃないわ、だから…」
そんなことは無い、十分冷静だと、彼は思っていた。
それは、驕りだということは、後に思い知る。
強襲。
ギネヴィアを詰め所から、異能者を専門に収監する施設への護送。
その途中で奪還するしか手段はない。
逮捕から移送への動きも早く、家からの動きでは間に合わないと判断した。
単独での奇襲による、要人の奪還。困難に過ぎる行動だ。
しかしそれを行うことに、アリスは迷ってはいなかった。
最も憎んでいて、家に必要な後継ぎである、妹を救うことに……
意識がよみがえる。
確かな死が自らに堕りたはず、それは事実だった。
しかし回復した五感が、肉を持った肉体だということを実感する。
そして視覚に入ったのは、少し青ざめた表情をしたマチルダ……
驚きの表情を作りながら、まず周囲の状況を把握しようと、体に染み込んだ行動をする。
家を出てから、いままで厄介になっていた、彼女の部屋。
なにも変わりないそれに、死を迎えたのが夢だったのかと考えてしまう。
だがマチルダの口から、それが現実だったことをしらされる。
蘇生。
ヴァンパイアハーフの特徴の中でも特にその、生命のしぶとさを表している。
特定の贄となった者の血と、その対象を想う力、欠片でも残った肉体。
たとえ死からも蘇る。
「妹は…」
「無事逃げたみたいよ」
安堵の息を漏らす…そして、確かな色をたたえた紅い瞳。
マチルダはその瞳を覗く…
衣服を脱ぎ裸体をさらし、ベッドに座る。
「生きているということを、実感させてあげる」
アリスは困惑しつつも…それを受け入れ、自らの生を確かめた。
そして…
「家」に帰った。
彼の家出は終わった。
【作者解説】
アリスがセインに殺された直後、ギルバートによって蘇生したあとで二人の過去の回想を、同じ書き出しからというものです。
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