今、オレの竜槍騎士団入団と「刻印の竜騎士」への覚醒を祝うっていう名目で、宴会が行われている。
そしてオレの目の前には、色のついた液体の注がれたコップが、まるで飲まれるのを待つかの如くテ―ブルの上に置かれていた。
酒。これの何処が美味いのか、オレにはよくわからない。
苦かったり、焼けつくように熱かったり、酸っぱかったり……。とにかく色んな味があるが、その全てが不味いとオレには思えるんだ。
なのに、他の連中は平気で飲んでいく。師匠までもが……。
特に師匠は、飲みだすと止まらないんだよな、これが。ガバガバと……、ほんと好きで好きでしょうがないみたいなんだ。
オレも以前、親父に誘われて飲んだ事があったけど、とてもガバガバとなんて飲めたもんじゃない……。まったく、師匠の気が知れないよ。
だが、このまま飲まないのもバカにされそうで嫌だった。
だからオレは、ある妙案を思いついたんだ。
それは、ちょうど似たような色のお茶があったから、それと入れ替えるというものだ。
善は急げってな感じで、キョロキョロと誰も見ていないのを確認しつつ、オレは素早く酒の入ったコップとお茶のそれとを入れ替える。素早い手さばきで、テ―ブルの下に隠していたお茶入りのコップと酒瓶とを入れ替えに酒入りのコップを隠し、何事も無いかの様に平然とした態度をとる。まさに、一瞬の早業だ。
上手くいったと思ってホッとしているオレの所へ、不意に人が寄ってきた。
(ヤバイ……ひょっとしてバレたのか？)
そんな風に思いながら、動揺している心を抑えつつ振り向くと、そこには師匠がいた。
師匠はかなり酔っているらしく、赤らめた顔と眠たそうな目をオレに向けて隣に座ってくる。オレは、蛇に睨まれたカエルのように動けなくなっていた……。
「アシュラスゥ〜、ちゃんろ飲んれるかぁ〜？」
師匠は隣に座るなり、怪しくなったろれつでそんな事を言ってきた。
オレはバレていないのがわかり、安堵のため息をそっとつくと師匠に言った。
「飲んでるに決まってるだろ。なんたって、オレを祝ってくれてる席での酒なんだ。オレが飲まなかったら始まらないよな」
そう言うなり、オレはコップのお茶を飲み干す。そして、更にお茶を入れた酒瓶を手に取ると、中身をコップに注いでまた飲み干す。
「ぷはぁぁぁ〜、やっぱ酒は美味いなぁ！ そうだろ師匠？」
オレは口元を拭うと、ちょっとよろけて酔ったふりをしてみた。我ながら、上手い演技だ。
そんなオレを見ると師匠は、満足そうに笑いながらウンウンと頷いている。
「そうらろぅ……酒は美味いに決まっれるんらろぉ……ヒック！」
「そうだな、酒は最高だよな！ ハハハハ…ハハ…ハ……」
オレは適当にあいづちを打ちつつ、内心では「酒なんかのどこが美味いんだか……」と、うんざりした気持ちで一杯になっていた。だが、それを少しでも顔に出せば、師匠の鉄拳が飛んでくるのは目に見えているから、オレは必死に笑顔をつくっていたんだ。
この時までは、上手く誤魔化せるんじゃないかと思っていたんだが、どうやら刻々と運の尽きる時が刻まれていたらしい。
「それじゃ、最高な酒をもう一杯……」
調子に乗ってもう一杯、酒と称しているお茶を注ごうとしたところを、急に師匠が酒瓶ごと奪い取ってそのままラッパ飲みをしだしたんだ！
さすがにオレは呆気に取られていた。「何故、そうなる？」と言い出したい気分だ。それほどに師匠のその行動は、突拍子が無さすぎた……。
しかし、すぐに状況を理解したオレは、即行でそこから退散するべく立ちあがる。まずは一歩、二歩、そして三歩と徐々に師匠から離れて行く。「これは逃げられる」と、思った瞬間……。
「ちょっろぉ、待れぇぇぇアシュラスゥゥゥ〜！」
例えろれつが回っていなかろうと、相手を押さえ込むような迫力のあるその声は、オレの体を一瞬で硬直させる。
う…動けない……。オレは観念した。例えこのまま逃げても、後が怖いだけだから。
恐る恐る振り向いたオレの目に、酒瓶片手に仁王立ちした師匠が映る。目は逆三角形で、顔は赤鬼そのままだ。
「これら、どう言うころらぁ？ どうしれ酒瓶にお茶ら入っれるんら……？」
頬を伝う汗……。オレの頭の中は、どう弁解するかという事を考えつく為にフル回転していた。
だが、どうも上手い手が思いつかない。こうして沈黙していたら師匠の怒りが爆発しかねないと感じたオレは、なんとか口を開いてみる。
「い…いや、きょ…今日は酒を飲む気分じゃなかったから……」
我ながらかなり動揺してると感じられる口調で、苦し紛れにそう言ってみたのだが……。
「らんだとぉ？ こんら美味い酒を飲む気がしらいぃ？ それは、酒が不味いっれ事らのか？」
「な…なにも、そこまで言ってないだろ師匠!?」
「い〜や、言っれるも同じら！ お前は、わらしの酒ら飲めないんらな！」
まずい……。正直オレはそう感じた。酔っているせいか、師匠にまともに話しが通じなくなっている。
酒好きの師匠にしてみれば、オレのとった行動は不満だったんだろうけど、何もそこまで悪意に思わなくたっていいじゃないか。段々、オレの中にも怒りが沸いてくるのがわかった。そして……。
「お仕置きが必要らな、アシュラス」
そう静かに言い放った師匠の言葉が、オレの怒りに火をつけた。 バカ言うな。どこの世界に酒嫌いだからってお仕置きされなきゃならない理屈があるんだ！ こうなったら、胸のうち全てをぶちまけてやるぞ！
そう思ったオレは、勢いよく捲くし立てた。
「ふ…ふざけるな師匠！ 酒のどこが美味いって言うんだ！ オレにはな……オレには…ドブ川の水と同じに思えるんだよ！」
(言ってやった、言ってやったぞ！)
オレの心は、カラッと晴れ渡った空のように気分爽快だった。
しかし、それも束の間。師匠の顔は、オレのやった事を後悔させるのに十分なものだった。その顔は、無表情だが内なる怒りを骨のずいまで感じさせる……。
(例えが悪すぎたか？ ヤバイな……あの顔は…。マジ切れしてるぞ……)
修行の時、オレの出来が悪いと見せた師匠の表情だと気付くと同時に、さっきまでの爽快感はどこへやら。急にオレの心が震え出していた。
だが、もう遅いっていうものだ。こうなったら、オレも男。上等だ、鬼退治でもなんでもしてやるぞ！……と、意気込んだのは良いが、オレが師匠に勝つなんて今はまだ絵空事だったみたいだ。
「良い度胸らなアシュラス……」
そう言うが早いか、師匠は猛然と突進してきた。だが、これなら軽く避けてつまずかせ、後は乗っかって「参った」と言わせてやると思った。
そして実際、その様にやってみせた……と思ったんだが!? 突然、避けたところを誰かがオレの体を抑え込んできたんだ。
気付くと、いつのまにか周囲には人が集まっていた。そう、オレと師匠の喧嘩を他の騎士団連中が見物してたんだ。
そして、その中の一人がオレを困らせたくて邪魔をしたらしい。オレはギルガルド出身だから、快く思わない奴らだっていたからな。だからって、こんな時に……。
すっかり羽交い締めにされてしまったオレは、処刑台に立たされた囚人、あるいは解剖前のカエルといった心境になっていた。
「あんたどういうつもりなんだよ！ 離せよ、離せってば！」
それでももがいてみるオレだったが、オレより体格の良いそいつはびくともしない。そして、そいつはニヤニヤ笑いながらオレに言った。
「団長に無礼な態度とったらお仕置きは当然だろう？ それにお前が酒を飲んだらどうなるか見てみたいしな。アハハハハ」
(ち…ちくしょう。こいつ、後でおぼえてろよ……！)
そう思ったは良いが、今はどうこの場を乗り切るかが問題だ。そんな事を思っているうちに、処刑人……もとい師匠が目の前に立っていた。
「覚悟は良いんらな、アシュラス」
意地の悪い笑みを浮かべた師匠は、オレの頭をクシャクシャ撫でながらいかにも楽しげに言った。
もうどうにでもしろ、刻印の力を使えばボコられてもダメ―ジは半減できると、オレは考え覚悟を決める。
「お前に酒の美味さを教えれやるろ〜、ほれぇ！」
と、言うなり師匠は酒瓶をオレの口に突っ込むと、一気に流し込んだ!? な…なるほど、師匠らしいやり方ではあると妙に感心してしまったオレだったが、流れ込んでくる酒が喉を通って腹の中に溜まるにつれて事態の深刻さに焦ってきた。
なにせ、妙な味の液体がガバガバと流れ込んでくるんだ。気が狂いそうだった。一瞬、頭の中が真っ白になる。
「ば…ばいっだ……ぼうばべべでぐでぇぇぇ！(ま…まいった……もうやめてくれぇぇぇ！)」
これ以上続いたら本当に昇天すると思ったオレの必死の懇願が天に通じたのか、師匠は酒瓶を放り捨てる。そして、オレを羽交い締めから解くように言った。
天地が逆転…いや回っている。異次元にでも放り出された感じがしていた。オレはどうしていいかわからず、とりあえず歩いてみたが途端に倒れてしまった。足の踏ん張りが利かない。方向すら定まらない。
完全にグロッキ―状態になってしまったオレを、幾人かは笑って見ていた。
「どうだ大人の味は？ ガキのお前にはちょっと早かったか、クククク……」
そう言ったのは、オレを羽交い締めにしていた奴だ。ガキと言ったそいつに怒りを感じたが、どうしようにも体が動いてくれなかった。
(後で……後で…おぼえて…ろ……)
朦朧とする意識の中で、そう思うのがやっとだった。
「どうらぁ〜？ これれ少しは酒が美味いっれころがわかっららろ？」
オレが苦しんでるのもお構いなしに、そんな勝手な事を言って師匠は飲み直しとばかりにさっさと去っていってしまった。
「真の地獄を見るのはこれからだぜ」
意味深な事を言ってその場を離れようとしたのは、やはりオレを羽交い締めにした奴。真の地獄？ 酒に不慣れなオレにはよくわからなかったのだが……。
その直後、オレは猛烈な吐き気に襲われる。腹の中から怪物でも出てきそうな勢い、そして嫌な感じ。これなのか、これが真の地獄っていうやつなのか……。
だが、オレはそれを否定的には捉えなかった。逆にこれを利用してやろうと考えついたからだ。
「ちょ…ちょっと……待…てよ…」
やっとの事で搾り出した声で、オレは奴を呼びとめる。そして、気力を振り絞って立ちあがった。
奴は怪訝な表情で振り向いた。オレが何をするかも知らずに……。
次の瞬間、オレは奴めがけて倒れ込んだ。キスしてしまうかも知れないぐらい口を奴のそれに近づけた体勢になったのを確認して、オレは待った。その時を……。
奴は当然、慌ててオレの体を支えてわめいていた。
「なにしやがる、こわっぱが！」
ビンゴ！ 良いタイミングでオレの待っていたものが来たんだ。すなわち、腹に溜まってたものが逆流する時が。
オレの口から飛び出したそれは、まさに奴がわめいて口を開けたところへ勢いよく流れ込んだ。これには奴も堪ったものじゃないだろう。
仕返しで慌てふためく奴の姿を見ながら、オレは会心の笑みを浮かべた。そこでオレの記憶は途切れた……。
気付くと朝だった。あの後、オレはどうやら眠ってしまったらしい。こうしてアルド―ル砦の騎士団の自室にいるという事は、誰かが運んでくれたんだな。
ふと昨日の事を思い返してみる。我ながら、派手にやってしまったと思った。師匠には顔を合わせずらい……。仕返しした奴はどうでも良いんだ。なんなら決闘だって受けてやる。だが、師匠は修行の事があるから気まずかった。
どうしたものかと考えながら自室を出て、朝の食事の為に食堂へと向かう。食堂では昨日の事が噂になっていた。
仕返しした奴は、オレを一瞥するなりすぐ目をそらしてしまった。よっぽど堪えたんだろうか？ まあ、羽交い締めしたぐらいであれだけの仕返しを食らったんだ。それ以上したら、オレにどんな事をされるか怖がっているんだろう。
他の人達は、以前よりもけっこう好意的に声をかけてくれた。根性を見せたのが良かったのだろうか？ これで少しは、オレもここでの居心地が良くなれば良いんだけどな。
そしてオレは、いつのまにか師匠の側に来ていた。あっちは気付いていないようだ。
ゴクリ……。オレは緊張した面持ちで師匠に話しかけた。お互いに昨日の事を謝って仲直りしたかったから。
「あ…あの師匠……、昨日は…その…」
と、言い出しにくくオレがくちごもっていると、師匠は笑顔を向けてオレに振り向く。
「おぅ、おはようアシュラス。何してる、今日も修行だぞ。早く食べて支度しろ」
そう言った師匠の表情には、昨日の事などまるで忘れているかのような感じを受けた。
まさか……あれだけの事をしておいて忘れた？
「ひょっとして師匠……、昨日の事を忘れたのか？」
念の為に聞いてみたオレに、師匠はあっけらかんとして言った。
「昨日の事？ 確か夜にお前の為の宴会をやったんだよな。あれは楽しかったなぁアシュラス。ハハハハ」
こ…この女……忘れてる……。思わず拳を震わし自分がやられた事を思い出しながら、オレの心に再び怒りの炎がつき始める。
でも、あれがあったからオレは他の騎士達とも上手くやれそうだし、舐められずにすむキッカケにもなったしな。それを思うと、オレの怒りも冷めていった。もう、過ぎた事でもあったし。
しかし、もう2度とあんな体験はしたくなかった。だから今度からはジュ―スか何かで割ったお酒にでもしてもらおう。それも、うんと酒の濃度を薄めたやつだ。そんな事を考えているオレに、師匠は死刑宣告とも思える言葉を口にした。
「今夜も酒を飲ましてやるよ。お前も成人になったんだから酒ぐらいもっと飲めないとな、アシュラス？」
それを聞いたオレは立ち眩みもしたが、なんとか気を奮い立たせる。
「ジュ―スとかで割ったのなら……」
「何をやわな事を言ってるんだ。それじゃいつまでも男の子のままだぞ」
なんとか抵抗してみたが、返ってきた答えはこのありさまだ。やれやれ……、この先また地獄を味わう事になるんだろうか……？ そんな面持ちでオレは、師匠を見つめた。この人にはどこまでいっても勝てない気がした。武術云々の事は別としても、他の面ではそうだろうと感じたんだ。
でも、どこかでオレはそんな師匠に惹かれている。それはオレにとって、救いになるような気がしていた。どうしてなのかは、まだわからないが……。
そして、その日の晩。師匠の酒飲みに付き合った訳だが……。
「もう、酒なんて大っ嫌いだぁぁぁ！」
この叫びを聞けばわかるだろう。これでオレは生涯、酒は口にしない……と誓うのは師匠といる限り無理だから、絶対に酒の味に慣れてやると誓った。そして、師匠と飲み比べで勝てるぐらいになってやると。
＜終わり＞