黄昏の紋章プラリア 作者：中安さん 掲載日：２００２．６．１
信じることの代償
１
「いらっしゃいませ、店内でお召し上がりでしょうか？」
店に来た客に対して、綺麗な可愛らしい声が迎える。そして止めとばかりに、にっこり営業スマイルが飛んでくる。客は思わず、照れて、赤面し、絶句してしまった。
声を発したのは、１７歳くらいの、金褐色の髪を縦ロールにした外国の令嬢風の少女である。だが、客は相手が外国の人ということで絶句した訳ではない。少女は、その声に相応しい美貌の持ち主であったのだ。
客はもごもごと注文を言って、おどおどと客席の方に行ってしまう。それで少女のいるレジの前からは客足が途絶えた。
「しかし良く化けたものだな」
少女のことを見ていて、１０歳くらいの女の子が感心したように言う。一見したら、その女の子は男の子に見える。何故なら、その女の子は僧侶の着る法衣を着ていたからだ。だが、その顔の繊細な作りを見ると、女の子だというのが、一目で分かった。
「何を言うのよ、玉蘭、あたしは元々可愛いのよ」
少女は当然のことを話すように、あっさりと言う。その態度は客と接していた時と違って高飛車だ。だが、玉蘭の方は気にした様子もない。
「わたしはそのようなことを言っているのではない。あの強気なネネ殿が、良くそこまでへりくだった態度を取れると感心したものだ。そうしていると、何処にでもいる普通の女の子に見えるぞ」
「失礼ね。あたしを狂犬みたいに言わないで。あたしだって、れっきとした女の子よ」
ネネはフンと顔を逸らす。ネネは竜山泊に所属しているせいで、良く人から狂犬みたいに言われる。でも、ネネだって一応女の子の端くれなのだ。狂犬扱いされて愉快な筈がない。
そこに客がまたやって来た。今度は大学生くらいの男性である。早速ネネは声をかける。
「いらっしゃいませ、店内でお召し上がりでしょうか？」
「いや」
男はニヤニヤしながら言った。ネネは営業スマイルを浮かべながら続ける。
「御注文は何にしましょうか？」
「キミ」
「は？」
「キミを持ち帰りで一つ」
ネネは思わず黙り込んだ。さすがに店のマニュアルにも、客がこういう対応をした時のことは書いてない。
「お客さま、御注文は何ででしょう」
「ねえねえ、君、バイトの時間何時に終わる？ それまでさ、待ってるからさ、終わったら何処か遊びに行こ」
「お客さま、御注文をどうぞ」
「注文は君だって、いいから、このあといいことしよう」
言いながら、男はネネの手を握って来る。元々気の長くないネネの神経はプッツリと切れた。カウンターを出て、男の前までやってくる。男は嬉しそうな声をあげる。
「わあ、早速俺と一緒について来てくれる気になったんだ。じゃあ、ホテル、行こ」
ネネは顔を引きつらせながら、ニッコリ笑う。
「ナンパはね、時と場所くらい、考えてからしなさい！」
ネネは男に回し蹴りを浴びせようと高く足を振り上げる。しかし、店の制服のタイトスカートをはいていることをすっかり忘れていた。足が上がらず、バランスを崩し、どてんと尻餅を付いてしまう。
「痛たたたあ……」
「君、挑発的だね。こんなところで誘惑しなくたって、いいのに」
男は鼻を伸ばし、ネネのタイトスカートの中を覗き込んでくる。ネネは構わず男の顎目掛けて、つま先を蹴り上げる。攻撃は見事にヒットし、男は気絶してしまう。
「竜山泊麗竜、ネネを舐めないでちょうだい」
フンと鼻を鳴らしつつ、啖呵を切り、ネネは立ち上がった。
２
かつて新宿に竜山泊という組織があった。最強を目指す魔人達と新宿同盟の古参妖魔達を諏賀龍耶という人物が集めて作り出した組織だ。ネネと玉蘭もその竜山泊に所属している。竜山泊は総長である龍耶が当時新宿最強であった神宮寺恭一郎を破り、最強の称号を手にしたところで、さらなる高みを目指して全国に散っていく事になる。龍耶達は東北へ、ネネと玉蘭は九州へ旅立った。
ネネと玉蘭達九州竜山泊が九州に来て、一ヶ月がたった。ネネは九州へ来ると、早速九州の実力者で恭一郎の叔父である神宮寺実元に勝負を挑んだ。しかし途中で「浅草雷帝」雷蔵に勝負に割り込まれ、実元とは決着がつかなかった。一方、玉蘭は九州の若宮邸襲撃を敢行した。しかしこちらも若宮邸の守りが思いの他堅くて失敗してしまった。ネネと玉蘭は次の作戦を錬るため、しばらく福岡に安アパートを借りて、暮らすことにした。
○
「これで８件目だな」
ベットの上でゴロンと横たわりながら、玉蘭は評した。ネネは浴室から出て、濡れた身体をタオルで拭きながら、ムクれた声を出す。
「仕方ないでしょ、あの場合。あのナンパな変態男が悪いのよ、あの変態男が」
「ネネは堪え性がなさ過ぎる。あの場合だって、穏便に事を済ませる方法があった筈だ」
「あのねえ、我慢なんて、あたしの性に合わないの。大体なんであたしが地道にアルバイトをしなきゃならないのよ。あたしはこの九州に職を探しにやって来た訳じゃないのよ。あたしは、竜山泊の一員として、九州を制圧しにやって来たの」
「そんなことを言っても仕方なかろう。我ら九州竜山泊には、資金も住む場所も用意されていないのだからな」
ネネは新宿にいた当時のネネのパートナーであった黄鈴姫のことを考えた。鈴姫は竜山泊で幹部が持つ竜将の称号こそ持たなかったものの、竜山泊では参謀として活躍していた。その鈴姫は新宿争乱の終わりに、戦いの中で死んでいった。新宿にいた時の竜山泊の資金は、殆どが鈴姫のポケットマネーでまかなわれていた。こんなお金で苦労している時にこそ、鈴姫の有り難さが身にしみて分かる。
しかし……ネネはしんみりした気分を追い払って、玉蘭へ不満をぶつける。
「でもね、どうしてあたしばっかり働かなきゃならないのよ！ 玉蘭、あなただって、竜山泊の一員でしょ。あなたも資金を稼ぐためにアルバイトしなさいよ」
「わたしの外見年齢では、それは無理だな」
玉蘭の実際の年齢は２５歳だ。だが、寺で修行していた時に精神的ショックから成長が止まってしまい、何処からどう見ても１０歳の子供にしか見えない。さすがにこの外見年齢でアルバイトを探すのは無理がある。玉蘭は見かけに似合わない大人っぽい仕種で肩を竦める。
「だから、ここはやっぱりネネ殿に頼るしかないのだ」
「もーっ、あたしだって、地道に働くのは苦手なんだから」
「らしいな。九州についてから、アルバイトを首になったのは８件目だからな」
「フン！」
ネネはそっぽを向く。それで言い過ぎたと思ったのか、玉蘭は苦笑いをしながら話を変える。
「それでこれからどうするつもりだ」
「どうするって、別のアルバイトを探すわよ」
「そうじゃなくて……わたし達が九州に来た本来の目的を叶えるためにどうするか、ということだ」
ネネは真剣な顔になる。身体に頭にタオルを巻き付けながら言った。
「こないだ、あたしは実元に勝負を挑んだわ。でも、残念ながら決着は付かなかった……」
「では、また実元殿を狙うのか？」
「いいえ、実元はほっておくわ。今は竜山泊の勢力を九州で広げることが大事だと思うの。そのために、高千穂山に出向いて、天津神の御使いの動向を探ってみるつもりよ。建御雷の居所さえ分かれば、建御雷と一騎討ちがしたいんだけど、高千穂山に確実にいるかどうかは分からないし」
ネネは身体にタオルを捲いただけの姿で、ベットの上に座り込み、足を組む。そして玉蘭に尋ねる。
「玉蘭、あなたはどうするつもりなの？」
「わたしは竜山泊幼竜として、香住殿に勝負を挑もうと思う。神斬と言われている香住殿とは一度手合わせがしたかったからな」
「じゃあ、行動開始ね」
「ああ……だが、その前に」
「その前に？」
「早くネネ殿のアルバイト先を見つけないとな。お金がないと、この福岡の安アパートも追い出されてしまうからな」
ネネはベットの上で突っ伏した。
３
ネネが天津神の御使いから聞き出した情報は、はっきり言って、何の役にも立たなかった。同じ頃、実元と雷蔵が建御雷と壮絶な死闘を繰り広げたときいて、ネネはかなり悔しい思いをした。一方、玉蘭は香住に勝負を挑もうとしたものの、その前の敵との戦闘の怪我を治している最中に不意をつかれ、あっさり香住の手により気絶させられてしまった。
○
喫茶店の中は閑散としていた。ウェイトレスの可愛いユニフォームに身を包んだネネと、客席で澄ました顔でホットミルクを啜っている玉蘭の二人しかいない。ネネはつかつかと玉蘭の方に近付く。
「ちょっと、あたしの稼いだお金で贅沢しないでよ」
「細かいことは気にするな。この状態じゃお金を払う必要があるとは思えないしな」
玉蘭はわざとらしく店内を見回す。実は店の者は、神宮舎の人間達に誘導されて、全て避難していったあとだった。ただネネだけは、避難勧告にも関わらず、てっきり店が開いていると思って、呑気に出社してしまった次第である。当然店には誰もいなくて、ネネはすっかり無駄足だった。
「もう、それより情報は掴んで来たの、玉蘭！ 九州での情報収集はあなたが担当の筈でしょ」
ネネがアルバイトで資金を稼いでいる間、することのない玉蘭が大黄やら天津神の御使いやらの情報を仕入れてくる分担になっていた。
「ああ、勿論、調べたとも。大黄はここでジョカを召喚しようとしているらしい。それを妨害しようと、香住殿は卑弥呼を使うつもりらしいぞ」
「それで実元はどうなったの？」
「実元殿は建御雷殿との戦いで重傷を負い、今は英彦山で大人しくしているらしい」
「そう……」
ネネは沈痛な面持ちとなる。ネネと互角の勝負をした実元のことを、ネネは高く評価していた。ネネの勝負に対してまっこうから受けて立ってくれたことといい、勝負の際に見せた生き生きとした表情といい、ネネは実元と心が通じ合っているような気がしていた。その実元があっさり負けるなんて信じられない……信じたくない。
「……実元を倒した建御雷、あいつだけは許さないわ。あたしが建御雷を倒してみせる。そして堂々とした勝負なら、建御雷より実元の方が強いということを知らしめてあげるわ」
玉蘭はぼそりと言う。
「ネネ殿、実元殿に惚れたな」
ネネは途端に顔を真っ赤にする。
「何言ってんのよ。そんな訳ないでしょ、あんなおっさん！ あたしはピチピチのセブンティーンよ、もっと若い男の人の方がいいわよ。それに、今は恋をしているどころの話ではないし」
「そうネネ殿も実は１２８歳ではないか。お似合いだと思うぞ」
「うるさい、うるさい、今はそんなこと言っている場合じゃないでしょ」
ネネは頭をブンブン振り回す。玉蘭はどうでも良さそうに肩を竦めた。ネネは話題を変える。
「それより、あたしは建御雷を叩きに行くとして、玉蘭はどうするつもりなの？」
「わたしか、わたしは大黄派が卑弥呼を狙って来るという情報を掴んだから、それを阻止するつもりだ」
「でも、香住は卑弥呼を使って福岡を消滅させるつもりなのよ。その香住に手を貸すの？」
「香住殿は自分のことを、民を守る退魔師だ、と言った。その香住殿が例え少数であれ、民を犠牲にする筈はない。わたしは香住殿を信じる」
玉蘭はきっぱり言い切った。
４
建御雷と勝負するために、ネネは千里眼を飛ばして、建御雷を探していた。その甲斐あってか、建御雷が天津神の御使いを率いて福岡に向かっている最中、英彦山の魔人と建御雷が決闘している所を捕捉した。建御雷は、銀髪の鬼と化し、相手を一撃で倒す。ネネは建御雷が本気になっているのを見て、分身を建御雷の前に出現させた。
「さすがね、建御雷。実元と雷蔵を破っただけのことはあって、あなたの強さは並ではないわね。でも、だからこそ、倒しがいがあるわ」
「誰だ！」
建御雷は目を細めて、ネネのことを見る。ネネは可愛らしい外見に似合わない、無骨な笑みを浮かべる。
「あたしはネネ。竜山泊の竜将・麗竜の名を持つものよ」
「竜山泊だと」
「建御雷、あなたに決闘を挑むわ。勝負よ」
ネネはスカートを摘んで一礼する。ネネの着ている服装は、レースとコサージュで飾ったつばの広い花飾りの帽子に光沢のついたサーモンピンクのドレスであった。これがいつものネネの服装だ。戦いには向いてない服装だが、ネネはこの服装でも動きが鈍らない自信があった。
ネネは建御雷に急接近する。連続して蹴りを放つ。ネネの動きは惚れ惚れとするくらい華麗であったが、建御雷はそれを余裕でかわしていく。
「うるさい子犬め。分をわきまえずにじゃれついてきたら、どのような目に会うか、思い知らせてやる」
建御雷は大きく普都霊剣を振りかぶった。嫌な予感がしてネネは慌てて距離を取ろうとする。しかし、間に合わない。
「死ね！」
一刀の元に、ネネの分身は粉砕された。建御雷はつまらなさそうに言った。
「狂犬の相手をする暇はない。さあ、行くぞ」
天津神の御使い達を引き連れて、福岡へ再び向かうことにした。
○
何だか寝心地が悪い。でも、額に冷たい物があたって、気持ち良い。身体が疲れているのか、ネネはもうしばらく寝ていたかった。だが、目が覚めてしまったからには、これ以上寝ていられそうにない。ネネは薄っすらと目を開ける。
「……ネネ殿……ネネ殿、目が覚めたか？」
「玉蘭」
ネネは覗き込んでくる玉蘭を見て、呟く。ゆっくりと身体を起こそうとする。そこで身体中に激痛が走る。玉蘭は慌ててネネを寝かしつけた。
「ネネ殿は建御雷殿との戦闘において重傷を負った。ネネ殿の分身は何処にでも出現させられるという長所はあるが、実体があるため分身が傷付けば本体も傷付くと言う弱点がある。その分身が粉砕されたのだ。ネネ殿は、まだ起きあがれるような状態ではない。安静にしているんだな」
「そう、あたしは負けたの……」
ネネはしんみりと目線を落す。そんなネネの肩をポンポンと玉蘭は叩く。
「まあ、気にするな、生きていれば、次がある。次に勝てばいいさ」
ネネは玉蘭に尋ねた。
「ねえ、ここは何処？ 福岡はどうなったの？」
ネネは横になった状態のまま辺りを見回す。ここはどうやら山の中らしい。うっそうと繁った木々がネネの視界に映る。ネネは地面に引いたビニールシートの上に寝かされていた。どうりで寝心地が悪い筈だ。しかし山なのは分かったが、一体何処の山だか分からず、それにどうして自分がこんな所で寝かされているのかが分からない。
玉蘭は何かを堪えるように、グッと両拳を握り締める。
「ここは福岡から南、筑肥山脈の山中だ。福岡は消滅した」
「福岡が！ 香住は卑弥呼を発動させたの！ それで福岡の市民はどうなったの！？」
「福岡の市民は神宮舎の人が大部分を避難させた。思いの他、犠牲者は少なかったらしい……だが！」
玉蘭は燃え盛るような熱い瞳をネネへ向けた。いつも冷静な彼女にしては珍しく玉蘭は怒っていた。
「少ないにしろ、市民に犠牲が出たことには変わりない！ わたしだって竜山泊のメンバー、戦いで死人が出るのは仕方ないことだと分かる。だが、それも戦う意志のあるものだけだ。戦う意志のない者を一方的に殺すのは、もはや戦いとは言わず、殺人、虐殺と言えよう。香住殿は例え少数であれ、逃げようとする一般人を巻き添えにした。わたしは香住殿を許さない。香住殿が民を守る退魔師などとは決して認めない」
ネネは玉蘭に視線をあわせる。
「では、考えなければならないわね。あたし達がこれからどうするかを」
玉蘭は福岡を脱出してから今までの状況を話した。高天原でイザナギという魔神の提案の元で英彦山衆と天津神の御使いの間で和平が執り行われるらしい。またイザナギは自分の元で修行することにより、大黄派を倒すための大いなる力を授けてくれるそうだ。それを聞き終えると、ネネは強引に身体を起こす。玉蘭は慌てて止めた。
「ネネ殿、無茶だ。そんな身体で何処に行くつもりだ？」
「もはや若宮にも英彦山にも九州はまかせておけないわ。九州を制覇するには圧倒的な力が必要なの。あたしは高天原に向かうわ。そこで修行して、新たな力を手にいれる」
「やめるんだ、ネネ殿。そんな身体で修行に耐えられる筈はない！」
「あたしは行くわ。だって鈴姫と約束したんだもの」
ネネは戦いに散っていた鈴姫と約束していた。この世の全ての争いを終わらせると、争いによって傷付く人をなくす、と。鈴姫は争いをなくすために命を散らしたのだ。その意志をネネが継がなければならない。
ネネの強固な意志を感じて、玉蘭はそれ以上引き止めるのをやめる。
「ならばわたしも行こう。これ以上の犠牲者を出さないために、自分の信じる道を」
二人の少女はそれぞれの目的地へ目指して歩き出した。ネネは高天原へ、玉蘭は英彦山へ。
■キャスティングリスト
ネネ（−）
１２８歳／女／シーカー／ネイティヴ／１５８ｃｍ／６１ｋｇ
新宿で名を轟かせた竜山泊の一員であり、竜将・麗竜の名を持つ。１７歳くらいの外国の令嬢風の外見をしているが、その本性は非業の死を遂げた女性の魂を宿したビスクドールである。服装はつばの広い花飾りの帽子に光沢のついたサーモンピンクのドレスである。
水守玉蘭（みずもり・ぎょくらん）
２５歳／女／ビショップ／ガーディアン／１３８ｃｍ／２７ｋｇ
新宿で名を轟かせた竜山泊の一員であり、竜将・幼竜の名を持つ。平家の怨念を身に宿しており、身体の成長が１０歳前後から停止している。長い髪を紐で一つに束ね、僧侶の着る法衣を身に纏っている。
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