ころころころころころころ………………。
ころころころころころころころころころころころ…………………。
「………コロネってば、おもしろーいっ。」
オーストラリアの中央部。オセアニア中の動物達が集まったこの場所で、何やら異様な光景が展開されていた。
事の起こりは数日前。
レムリア移住派と守護精獣奪還派に別れた動物達の対立を宥めるためにやって来た『リトル・プリンセンス』レイチェルを追って、彼女の（自称という噂もあるが本人はその気である）使役妖魔の巨大イモムシもやってきた。始めは、誘拐されたと誤解されていたレイチェルを連れ戻すことが目的だったが、誘拐ではなくレイチェルの決意も固いことを知った途端、イモムシは家に戻ることをころりと忘れたかのように彼女に引っ付いて動くようになった。
それだけならただ単にイモムシがいるだけだったが、このイモムシがころころとよく転がることを発見して以来、暇があったらレイチェルは「イモムシ転がしごっこ」で遊ぶようになったのだ。
「こあらっきー（ころころイモムシだ………）。」
「こあらこあら（いもむしご〜ろごろ〜だ………）。」
周囲の動物達は、何とも言えないビミョーな表情で、その光景を見守っている。いくら魔人とは言え、レイチェルはまだ８歳。遊びたい盛りなのだろう。この前は、カンガルーがサッカーのように蹴飛ばしているのを、面白がっていた。
「こあららん。」
「なぁに？ パパ達が来たの？」
別のコアラがやってきて、レイチェルに話しかける。レイチェルは「おっそーい。」と頬を膨らませ、走り去っていった。イモムシを放り投げて。
ころころころころころころ……………。
慣性の法則を証明するように、イモムシはそのまま５ｍほど転がっていった。
所かわって、ここはハイランド卿の屋敷。
「さーぁ、今日も元気に芝刈りをするぞー♪」
広大な庭の美観を預かる庭師は、今日もご機嫌だった。一週間ほど前には、腹痛を訴えて顔が青ざめていたというのに。
「ふっふっふ〜♪ 悪魔は去った〜〜〜♪ 今日もお花は元気だな〜♪」
鼻歌どころかミュージカルのように歌い、踊り、舞いながら、花壇に朝一番の水を撒く。彼の姿は、朝日を浴びてとても輝いていた。
「ああっ。初夏の庭って、何て美しいんだろ………う？」
背に翼が生えたように飛び回っていた庭師の目が、ある一点で止まった。
目を擦る。彼の額を、汗が一筋流れた。
頬をつねる。彼の頬を、汗が二筋流れた。
「あ、最近仕事に励みすぎたせいか、幻覚が。神よ、私に今少し、今日一日の仕事を終えるまで、力をお与え下さい………。」
十字を切り、改めて目を開く。彼の全身から、汗が滝のように噴き出した。
「………………なんで貴様がここにいるうううぅぅぅぅぅぅ！！」
絶叫し、手ぬぐいを引きちぎる庭師の視線の先には、コアラのようにユーカリの木にたかる全長６０ｃｍの、イモムシの姿があった。
「なんでいるんだ！！ 病院を脱走して、野性に返ったんじゃなかったのかぁぁ！！」
思い返すは一ヶ月前。この巨大な害虫は、こともあろうに庭師が預かっている大事な大事なサクラの樹を、丸ごと食い散らしたのだった。駆除しようと屋敷の人間総掛かりで捕まえたところを、一目で気に入ったレイチェルに助けられたのだった。
その後、検査のために動物病院に入れられたところを脱走したと聞いたときは、庭師は心臓が止まる思いだった。けれど、懸念したように再び屋敷には現れず、彼は天敵の退場を心から喜んでいたのだが。
「あああああ！！ 葉を食べるな枝を食べるな花を食べるな〜〜〜〜〜！！」
必死で押さえようとする庭師の腕の中で、イモムシはじたじたと暴れる。
「こいつ、大人しくしろ………はっっ！」
ふと、庭師の心に、ガーデニングの神様の啓示が降りた。
「今、お嬢様はここにはいない。………殺るなら今だっ。」
庭師の殺気を感じたのか、イモムシの顔に縦線が走る。
「くっくっく、ここであったが百年目。お嬢様にはお前は野性に帰ったと、伝えておこう！！」
「コロネ〜〜〜〜〜☆ あ、ここにいたぁ☆」
突如、可愛らしい声が響き、一昔前の少女漫画よろしくレイチェルが駆けてくる。イモムシも、呆気にとられた庭師の腕から飛び出し、レイチェルの腕の中に飛び込んだ。
どこからともなく淡いピンクのバラが咲き乱れ、レイチェルとイモムシの背後には点描が感動的に乱れ飛んだ。
「もぉ、捜しちゃったのよ？ あら？ 寂しかったの？」
すりすりと、イモムシはレイチェルにその身をすり寄せる。その横で、庭師は冷や汗をナイアガラの滝のように吹き出していた。
（………お嬢様は、動物と話ができる。今ここで、俺があのイモムシを駆除しようとしたのがばれたら………！！）
「庭師さんっ。」
「ははははははははいぃ！！」
庭師の身体はぴんと伸びたまま、硬直した。ばれたらクビばれたらクビいやその前に、どんな仕打ちを受けるか………！！！
「コロネを見つけてくれて、ありがとねっ。」
それはさながら、天使の微笑みだった。レイチェルの背後に可愛らしい花が咲き誇ったのは、イモムシの背景マンガ化能力のせいではないだろう。
「いえ、お嬢様こそ、お帰りなさいませ。」
「うん。でもね、またお出かけしなくちゃいけないの。今度はね、レムリアに行くのよ。」
「レムリアですか？ そんな遠くまで………。」
まだ８歳の身空で、そんな怪しい場所に行かねばならない麗しのお嬢様を心配して、庭師の顔が曇る。
「大丈夫よ。今度はパパも来てくれるし、チョコレット伯爵も来てくれるのよ。もちろんコロネも、ね〜〜〜☆」
イモムシは同意するように、レイチェルの頬に身をすり寄せようと、じたじたする。←レイチェルの腕の中だと、顔まで届かないのだ。
「………こいつも、ですか？」
「そうよ。今日はね、その準備で戻ってきたの。」
裡から沸き上がる感情を押し殺して、表面上は冷静に庭師は振る舞った。
「じゃ、準備があるから。コロネもお礼言いなさい？」
ごきっ。
レイチェルがお辞儀させるようにイモムシの頭を下げる。何やら鈍い音がしたが、庭師はあえて突っ込まず、レイチェルも何も言わなかった。
「じゃぁまたね〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆」
にこやかな微笑みと共に、レイチェルはイモムシを連れて去っていった。庭師はその情景を、穏やかに見送り。
「………………………………。」
身体が震えた。
「やったぁぁぁぁぁぁこんちくしょぉぉぉぉぉぉぉ！！ 馬鹿イモムシめ、レムリア行って帰ってくるなぁぁぁぁぁっっっっ♪」
世界記録も出せそうな程に飛び上がり、そのままくるくると３回転しながら降りてくる。今度こそ、天敵はいなくなったのだ。あのイモムシはひょっとしたらレムリアと関係があるかもしれないという噂もあり、もしそうなら故郷に帰って二度と戻ってくるなと言うものだ。
「るんたった♪ るんたった♪ さぁお花さん達、お水をあげるからねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ！！？？」
今度こそ改めてミュージカルのように踊る庭師の足が、角を曲がったところで止まった。茂みの影で見えていなかったが、その向こうの芝生は既に食い尽くされ、黒々とした大地が一面広がっていた。
庭師の身体が震える。先程とは１８０度違った意味で。
「ああぁんのくそイモムシめぇぇぇぇ！！ レムリアでいなくなることなど許さん！！ 帰ってきたときには、この俺が引導を渡してくれるわっっっっ！！！」
聞くモノが聞いたらその前に庭師の庭師生命が大ピンチなのだが、そんなことなどお構いなしに、彼は新たな闘志と誓いと共に、そう叫んだ。